賢治/やまなし
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ヤマナシの実について

やまなしの実
ヤマナシの実
樹はバラ科の落葉高木。
果実は2〜3センチで、
人家近くの山中に野生。
(松田司郎『宮澤賢治 花の図誌』より)


「やまなし」が植物学的に何の実を指しているのか。昭和53年の全集には、ズミであると堀尾氏が書き、これが定説となる。しかし、昭和57年に栗原氏が疑問を投げかけた。現在もなお、検討の余地がある。

●堀尾青史『新版・宮沢賢治童話全集』2「作品案内」(岩崎書店、昭53)

    ズミという木で、地方によりコナシ、コリンゴと呼びます。春のおわりに白色で赤い ぼかしのある花をさかせ、秋には黄色、赤色のたまご形の実をつけます。

●栗原敦「テクスト評釈「やまなし」」(『国文学』1982・2)
    桷、棠梨。実の大きさは五〜七ミリで、甘酸っぱい。しかしズミでは、いかに沢蟹とはいえカワセミと紛うには小さすぎると思われる。ニホンナシの基本種であるヤマナシも同じバラ科の落葉高木だが、関東中部以南の山地に生え、熟すと褐色となる。

●谷川雁『賢治初期童話考』(昭和60・9)
    北村四郎・村田源『原色日本植物図鑑』(保育社)によれば、日本の山野に自生しているナシには、ミチノクナシ、ナシ(ヤマナシ)、マメナシの三種類がある。生育地は北からミチノクナシが温帯、ヤマナシが温帯・暖帯、マメナシが暖帯となっている。マメナシは岩手地方にないからはぶくが、本篇の『やまなし』が分類学上のヤマナシであるか、それともミチノクナシであるかについて速断することはできない。なぜならミチノクナシも現地では「やまなし」と呼ばれることがあるらしく、イワテヤマナシという別名があるからである。
     (中略)「長十郎」「廿世紀」などはヤマナシの改良品種だが、ミチノクナシとヤマナシのもっとも大きなちがいは、ミチノクナシが果実になっても、頂きに裂けて茶色の「がく片」を残しているのにたいして、ヤマナシは実になるとき落ちてしまうことである。
     この「やまなし」はカニの親子に追いかけられ、最後は「横になって木の枝にひつかかつてとま」る。がく片のあるほうがひっかかりやすいわけだし、植物図鑑も「分布ではミチノクナシは温帯に、ナシ(ヤマナシ……筆者注)は主として暖帯に適する」と言っているから、あるいは岩手地方で「やまなし」と呼ばれるミチノクナシとしたほうがよいかもしれない。

●松田司郎『宮澤賢治 花の図誌』(1991・5)
     ヤマナシは岩手県全域によく見られ、樺桜(ヤマザクラ)と同じ時期に白い清楚な花を咲かせる。
     花盛りの木の下に立って見上げると、白い花びら、美しい紅と黒の葯、まだしがみついている去年の黒く乾いた実、刺の多い枝と丸っこい葉が、不思議な安らぎを与えてくれる。
     実は大体九月から十一月ごろにできる。
     私は十一月の終わりごろに、物見山(種山ヶ原)の頂上付近で、まだ黄金いろの実をたわわにつけた木を見たことがある。あまりに可愛らしいので、実をもいで口へ入れたが、渋くてはきだした。
     あとで聞いてみると、拾ってから刈った草の間に十日も寝かしておけば、渋みや酸味がぬけてうまくなるという。

    (引用者注:ここで書かれている「ヤマナシ」は、「岩手県全域によく見られ」とあるところから、植物学名上のヤマナシではないと考えられる。同書の写真の注釈に、「果実は2〜3センチ」とあるので、ズミでもない。前出の「ミチノクナシ」のことか


●続橋達雄『賢治童話の展開―生前発表の作品』(昭和62・4)
     トブンと落ちてきたやまなしは、〈キラキラツと黄金のぶちがひか〉る。「山男の四月」では、〈お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのやう〉であり、黄金のぶちが印象深かったらしい。やまなしはズミ(桷、棠梨)のことといわれ、その果実は五〜七ミリの小球形で赤または黄色、熟すと甘酸っぱい。さきほどの栗原評釈は〈ズミでは、いかに沢蟹とはいえカワセミと紛うには小さすぎる〉と疑問をなげかけ、〈ニホンナシの基本種であるヤマナシも同じバラ科の落葉高木だが、関東、中部以南の山地に生え、熟すと褐色〉と遠慮深く付言している。ともあれ、ドブンでもトブンでもなく、〈トプン〉なのである。


私は植物には詳しくないのですが、以上の文献を私なりに分類すると、

(1)ズミ   ……………実は五〜七ミリの小球形で黄または赤
(2)ナシ(ヤマナシ)……ニホンナシの基本種で、西日本〜中国に分布
             直径約二センチの黄色または紅色(「広辞苑」より)
(3)ミチノクナシ ………温帯に分布。実はがく片とともに落ちる

(1)では小さすぎる(栗原氏)。 (2)は、主として暖帯に自生(すなわち岩手には少ない)。


次のような文章もある。

●中村和歌子「賢治童話「やまなし」―その成立をめぐって―」(『横浜国大国語研究』5 昭和62・3)

     校本全集の年譜を見ていると、妹の死の一ヶ月前には次のようなことがあったことを知らせている。稗貫農学校の生徒が大正十一年十月の出来事として、次のようなエピソードを記憶していた。

       十月の小春だったか、先生と二人で、小さな舟で北上川を渡ったことがあった。その途中、先生のポケットからリンゴがポチャンと落ちた。先生は、それが水に沈んでゆくさまがきれいだと言って、何度もポチャンを繰り返す。ああ、きれいだと言って繰り返す。そのあげく、泳がないかと言い自分一人で泳ぎ出す。さすがに私は冷たくて泳げなかったが、」

     言うまでもなく、「やまなし」の十二月の場面のやまなしが落ちるときの描写と、このときの情景が、あまりにも酷似しているのである。


やまなしの出てくる他の賢治作品

・「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」

     タネリは、ほんたうにさびしくなって、また藤の蔓を一つまみ 噛みながら、もいちど森を見ましたら、いつの間にか森の前に、顔の大きな犬神みたいなものが、片っ方の手をふところに入れて、山梨のやうな赤い眼をきょろきょろさせながら、じっと立ってゐるのでした。

・「山男の四月」
     お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのやう、かれくさのいゝにほひがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光をだしてゐるのでした。
    (「山男の四月(初期形)」では、「お日さまは、まことにあかるく、」のみ)

・「第四梯形」(『春と修羅』)
     一本さびしく赤く燃える栗の木から/七つ森の第四伯林青スロープは/やまなしの匂の雲に起伏し/すこし日射しのくらむひまに/そらのバリカンがそれを刈る

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